私は、ずうっとすみれをなでていました。すみれは、ずうっと喉を鳴らしていました。
私は席を立ちたくはありませんでした。なんとなく、もしかしたらと感じるものがありましたから...
私は、ずうっとすみれをなでていました。すみれは、ずうっと喉を鳴らしていました。
- さあ、子供たちのお迎えの時間だからもう帰らなくちゃ! -
用事を済ませた後、まさに立ち寄っただけでつかの間の時間しかありませんでした。私は「勘ぐり過ぎだわ!」と振り払うように立ち上がりました。すみれは、綺麗な猫歩きで玄関までお見送りに来てくれました。そして
「びぃやぁ!」
と鳴きました。しっかりとした鳴き声でした。
- すみれ、ありがと!お見送りにも来てくれるのね... ありがとう!!-
- じゃぁ... お願いします。-
と私は母に言うと実家を後にしました。
全ての命には限りがあります。そして、残された者はいなくなったことに慣れるしかないのです。離れていた時間のほうが長くて、日々の時の流れの中ではその前と後でも何も変わりはしないのです。今も私はききょうもすみれも大好きで、あの頃と何も変わりはしないのです。
すみれは、自分の命の限りを悟っていてそれを受け入れて私にきちんと知らせてくれました。今思うと、「会いに来て!」と呼ばれたような気がします。猫なのに、いや、人ではなかったからこそ、在りのままのその在り様をあたりまえに受け入れたのかもしれません。
ありがとう、すみれ! ありがとう、ききょう!
左様ならば、有り難き事をありがとう!